2016年7月30日土曜日

旧ブログについて

旧ブログは唯一、収益(月に数円)を上げてましたがもう意味がなくなるのでそろそろ非公開化します。

何も残せなかった

30年近く生きて何も残せなかった

社会と闘った形跡すら無い

いっそのこと自分が生まれたことすら残らなければいいのに

社会を変えられなかったからなのか

社会が変わらなかったからなのか

いずれにせよ私が社会に適応できなかったからなのだ

無駄な人生だった

2016年7月20日水曜日

力尽きた

勉強できない状況に耐える体力が遂に無くなった

予想通り今年だった

死ぬと仕事しなくていいし

勉強も山も写真も読み書きもしなくていい

しなくていいではなくできないが正確なのだが

やりたいことを何もできなかった

無駄な人生だった

社会に適応できなかった

社会の奴隷にどうしてもなれなかった

構想はあったのだが書けなかった

書く能力が無かった

本も読めなった

数学は何一つできなかった

哲学も

漫画を読めるようになりたかった

軽い吃音症だったかもしれない

発達障害だったかもしれない

旅もできなかった

10年物のパスポート作ったのに

博士にもなれず修士どころか学士にすら届かなかった

それでも勉強しかできなかった

なんでこんなことになってしまったのか

病院に行ったけど何もならなかった

蝦夷を脱出できなかった

全ての選挙に行った

社会は何も変わらなかった

消費することしかできなかった

何も生産できなかった

最後の1年で最後の体力振り絞って

ほぼ片付けたつもり

後悔とは違う感覚

むしろ1度も選択を間違えてないと思える

力不足感

運命とは違うけど遠い昔に決まってたかのよう

2016年7月15日金曜日

そもそもなぜこうなったのか

今年度で全て終わってしまうので片付けをしているのだがそもそもなぜこうなったのか。

まず、勉強に手を出してしまったということ。私にはどうすることもできないくらいの時代から勉強を知ってしまった。

そして唯一、これしかできないということ。これが最も長く続いていてこれ以外は大して興味がない。

それなのに頭が悪く、全ての進学受験に失敗し仕舞には大学を卒業できず学士にすらなれなかったということ。

ここから勉強できる環境や手段を模索したが大学を卒業できなくなってって5年(大学受験に失敗して10年)になり体力が残っていない。年々、生命力が低下し正直よくここまで持ったという感じである。

社会に適応できなかったということ。前に書いたように体調が悪い。そして食べるということだけのために1日8時間も労働しないといけないことが無理だった。なぜ他人はそんなことができるのか。

そしてこれは既に言っています。それを簡潔にまとめましたが。今に始まったことではありません。何年も前に言っていることです。

2016年7月10日日曜日

サイバー空間の整理

部屋の片づけが大体終わったのでサイバー空間の整理を始めています。

フェイスブックとツイッターを削除しました。

Google+とこのブログは無くさない予定です。

webサイトはもう更新するものがありません。まだ使ってはいますが。というか、一応これがメインなのですが。